筆者:くぼの きょうこ
選んでなったわけではないが、私は左利きである。特に、日本では左利きであることに気づかれやすく、「珍しい」「知的」「創造的」というステレオタイプに当てはめられやすい気がする。祖父母は私が左利きであることを嫌っていて、私は両親に右手を使うように言われて育った。両親は私にペナルティを課したわけではないが、私が左利きであることを理由に、いつも二人の兄弟と私を区別していた。日本で左利きであることを、私の個人的な体験談を通じて紹介したいと思う。
1. 私の両親や祖父母は、箸やスプーン、フォークを右利きの人が使いやすい位置に「いつも」置いていた。世界人口の約95%が右利きなので、ウェイターが箸をそのように置くのは理解できる。しかし、彼らは少なくとも私の生物学的親族であり、私が右手を使って食事や文字を書くことができないという事実を十分に知っている。だから、私の要求を無視して「日本の伝統」に従う彼らに、私は不満を感じてきたが、それは私の存在とアイデンティティを軽視しているように思えたからだ。そして、このように右利きの習慣を強要されることで左利きであることを恥ずかしいと感じて生きてきた。人がすぐに私の利き手を指摘したり、特に日本では左利きのステレオタイプを話されたりすると、今でも動揺してしまう。逆に、ニュージーランドに住んでいた時は、私が左利きであることに気付いても何も言わない人もいれば、友達になって数ヶ月後に気付く人もいた。これは、日本の社会では左利きの人がいかに目立っているかを物語っている。
2. 私の祖父母や両親は、友人や親戚に私を「ギッチョ」とよく紹介していた。これは左利きの人を差別する表現だ。「ギッチョ」の由来については、いくつかの説がある。一つは、平安時代に行われていたハンマーを使った遊びから来ているというものだ。右利きの人が “右毬杖/右ぎっちょ “と呼ばれることはなかったが、左利きの人がゲームをするとき、 “左毬杖/左ぎっちょ”と呼ばれていた。明らかに、左利きが右利きとは異なるカテゴライズがされ、差別されてきたことを示している。一部の人はそれが差別的ではないと言うかもしれないし、私はただ考えすぎなのかもしれない。しかし、もしあなたが左利きだったとして、いつも人から珍しい、違っていると言われるとイライラするだろう。なぜなら、多少の右利きの人々用のハサミや改札のように多少のバリアはあれど彼らと全く同じことが私たち左利きにもできるからだ。
3. 私は左利きで、右利きの人よりもそろばんを使うのが遅いので、そろばん3級の受験を断られた。これにはとても傷ついたのを覚えている。先生の軽率な発言にどう反応したかすら覚えていない。はっきりさせたいのは、これは他人をカテゴライズすることではなく、一朝一夕には変えられない固有の特性のために、他人の機会を奪うことなのだ。
4. 私の母や祖母は、私が野菜や果物を切っている間、いつも「左手で包丁を使っているところを見たくない」とか「怖いよ」と言っていた。このように、私が左利きだから切るのが下手くそだと決めつけるのだ。しかし、料理が上手いかどうかは、個人の努力と能力によるものであって、利き手ではない。そして、私は蕎麦屋でアルバイトを始めるまでは、何を作っても自信がなかったのだ。
6. 書道教室では、右手を使えと直接言う先生はいなかったが、いつも「正確な」字を書くために、筆の端を10時半の方向に向けて書くことを勧められていた。それは、右手で書いた方が書きやすいということを暗示していて、それが正しいと信じているようだった。意図的に差別したわけではないと思う人もいるかもしれないが、「正確な」書体や完成形を作ることは、必然的に人を差別し、正確な結果が得られなかった人を貶めることにつながってしまう。私は書道のクラスは、単に正確なものを構築するのではなく、文字を書くことに自信がない個人に対処する必要があると信じている。例えば、「書道にはいろいろな方法があるよ」とか、「みんな自分のスタイルがあるよ」ということを伝えてもいいのではないだろうか。
結論として、私たちは時間をかけて、無意識のうちに他の人を不快に感じるかもしれない方法で分類していないかどうかを考え直す必要がある。そこから世界観の違いをより深く理解し、誰もが自分らしくいられる寛容な社会を実現するための生産的な議論ができるようになるのではないだろうか。