労働組合を立ち上げた話

以前勤めていた会社で、労働組合を立ち上げたことがある。ちなみに、労働組合とはなにかもどうやって立ち上げるのかも全くわからない状態で手探りで立ち上げた。

フェミニズムと全然関係がないじゃないか、と思われるかもしれないが、私にとっては地続きの話である。「女性は愛嬌が大事」「母親は家族を優先すべき」といった世の中で「当たり前」かのように話される前提を疑っていくことがフェミニズムの一つの役割だとしたら、「会社なんだから当然」「ベンチャーは残業が当たり前」「会社の言うことが嫌ならやめれば」といった会社に属している人々に対して行われる「当たり前」の押し付けについても「本当にそうなの?」「労働者の権利はどこまでなの?」ということを考えるのは当然の流れだったように感じる。

【会社のために働く?】
労働組合はどんな会社にもあった方がいいのではないかと個人的には思う。すべての労働組合が機能しているわけではないし、あるからといってなんでも解決できるわけではない。しかし、会社と個人の関係は得てして不均衡であり、会社が下す変更や決定に個人で不満に感じていてもなかなか対等に意見を言える機会はないだろう。そういった労働者側の立場や意見を、雇用側と対等に話し合えるように法律的に保障されているのが労働組合だ。

私が以前働いていた会社は、急な雇用形態の変更や、給与面(インセンティブ)の変更、雇用時間のルールが曖昧であったりしたために、働く側としてはいつ何時自分に不利益な変更が起こるかもわからないという不安の中で働いていた。
私自身が、そのような変更に疑問を抱いていても、どこに相談すればいいのかわからない、という不安から、組合を作れば相談窓口になったり、意見を届けやすいのではないかと思ったのがきっかけだ。

【組合に対する考え方】
組合の立ち上げは、実は簡単というサイトはたくさんあるのだが、実は結構大変だ。労働者が2人以上いれば、組合として立ち上げは可能だが、実際のところ、過半数以上の従業員が参加するかどうかが影響力の大きさを変える重要なポイントだ。当時、管理職ではない社員が70名くらいだっただろうか。全員と話をして、意図や目的を伝えることはなかなか大変だったのを覚えている。

そして、一番大変だったのが、会社側とのやりとりである。本来、労働組合を立ち上げることは何の問題もなく、会社との関係性をよくするためのものでもあるのだが、実際は労働者が組合を立ち上げることにいい顔をする会社は少ない。しかし、面と向かって「なんでこんなものを立ち上げたんだ?」とか「労働組合なんて必要ないだろう」というようなことを言うと、法律的に問題になることも会社側はわかっているので、表面上は穏便に話をしているように見せかけては来るが、やはり「なんでそんなことをしたんだ」というような感情は話していると伝わってくる。

しかも、そういう話をする相手は会社の役員だったり人事部長だったりと、いままで会話をしたこともないよ
うな人たちなので、とても緊張したのを覚えている。

【働きやすい環境とは】
結局、私自身は会社の経営方針などを決める人たちと話をした際に、もうこの会社では働けないと思ったきっかけの一つが「社員全員に会社と同じ方向を向いて、会社のために働いてほしい」といったようなことを言われたときだろうか。(もちろんそれだけが理由ではないが)

一見、まっとうなことのように聞こえるかもしれないが、大きな組織になればなるほど、様々な人々がその組織で働くことになる。そうなったときに、全員が同じ方向を向くことなど不可能なのだ。それを、無理やり同じ方向に向かせることは軍隊のようであり、強制がなければ難しいように感じる。そして、それぞれの方向を向いて、様々な理由で働く人々を強制ではなくマネージしたり、モチベートしたりしながら一緒に働けるようにしていくことが、管理職と呼ばれる人々の役目でありそのために多くの給与が支払われているのだ。「会社と同じ方向を向く」ことを個人個人の一社員に課すことは、その「管理する仕事」を放棄しているように感じるし、多様性を無視した圧迫感を感じざるを得ない。

今多くの企業で、ダイバーシティ&インクリュージョンがテーマとなったり課題となったりしているのを見ても、多様性だけを数字上で取り上げたはいいものの、それをマネージできずにいることを結局、「多様性を受け入れたことが原因」としているケースが多いように感じる。障碍者や女性の管理職、多国籍の人々はもちろん「多様性」と括られることが多いだろうが、人間一人一人はすべて違う個体であり、違う考え方を持っているはずだ。それぞれの多様な考え方を排除することなく受け入れていくことで、新しいアイディアが生まれたり、新しい社会の在り方を模索できるのではないかと思う。