テニスの大阪なおみ選手の、BLM(Black Lives Matter)のための一連の抗議行動に注目が集まっている。
黒人男性が警官に銃撃された事件を受け、大会への出場を取りやめると発表した。白人中心のスポーツであるテニスという競技において、自分が出場しないことによって少しでも人種問題に関することが話題になれば、という意図でのストライキだった。
彼女の意思を受けた、大会側は大会を一日延期することを実行。それによって大阪なおみ選手は出場を決めたという流れだ。
更に、彼女は全米オープンにおいて、7つのマスクを用意し、それぞれのマスクに犠牲になった黒人の名前を刺しゅうしたのだ。7枚のマスクは、決勝まで進めればすべてを着用できるという意思も込められており、彼女は結局すべてのマスクを着用し優勝を飾った。
こんなにカッコイイことがあるだろうか、とニュースを見て思った。
【なぜ批判が起こるのか?】
しかし、SNSなどでは彼女のこの行動に批判が起こっているという。スポーツ選手が政治を語るな、とか、日本には人種差別などない、といった的外れな批判だ。
きゃりーぱみゅぱみゅが検察官の定年延長を批判した際にも、SNSでは歌手のくせに、知らないくせに発信するな、といったような書き込みで炎上していた。
なぜ、スポーツ選手や歌手が政治を語ってはいけないのだろうか?
一つは「よく知らないくせに」という言論がある。影響力を持つ人が、よくわかっていないことを語ると混乱を起こす、ということだろうか?
そもそもどうして、彼女たちが「よく知らない」と思っているのかもバイアスがかかっていると思うが、よく知らないから発言してはいけないというのは完全なる言論統制である。
知らないなりに、興味を持ったことに対して発信することに何の問題があるのだろうか?もちろんその発言が、ヘイトであったり、他者を誹謗中傷するようなものである場合は別だ。しかし、自分が信じることに対する発言を他者に取り締まられる必要は全くない。それに、間違っていたと思ったり、意見や考えが変わった場合は単に撤回すればいいだけの話だ。
ひとつひとつの発言を完璧な根拠をもとに話さなければいけないのであれば、誰も発言しない世の中になってしまう。
【若い女性へのイメージ】
彼女の行動になぜか批判が集まるのは「若い女性」による言動によるものもあるのではないだろうか。
同じくテニスプレーヤーである錦織圭も、大坂なおみほどではないにしろ、BLMへの抗議行動を起こしている一人である。
ジョージ・フロイド氏が殺害されたことへの抗議行動としてBlack Out Tuesday(インスタの画面を真っ暗にして投稿するアクション)に参加し、自身のインスタにも真っ黒の画像を投稿している。
同じ考えで、行動を起こしていても、彼に対して批判が巻き起こった様子は見受けられない。
いくつかの大坂なおみへの批判のなかに、「彼氏に悪い影響をうけたんじゃないか」といったものがあるように、若い女性が自立して政治行動を起こすなんて、誰かの影響なんじゃない?一過性のファッションでは?といったようなバイアスがかかっているのかもしれない。
スポンサーである日清のCMでも白黒の大坂なおみ選手の写真に添えられたメッセージが、「原宿に、行きたい。」だった。
日清によると、普通の女の子としての大坂なおみ選手を演出したかったということらしいが、人種差別に声を上げるテニス選手よりも、原宿に行きたい女の子のイメージのほうが企業として望ましかったのだろうか。
まずBLMを全く無視しているところと、原宿に行きたいと言っている女の子ってかわいいよね、という女の子イメージの浅はかさのどちらも残念なCMだと感じてしまった。
私自身が、自分のために声を上げるためにジェンダーやフェミニズムについて勉強をしたのは、やはり「よく知らないのに話すな」といったようなソーシャルプレッシャーを感じたからだろう。私はまんまとそのプレッシャーにのっかって、声を上げるために勉強をしてしまったのだが、元来「声を上げる」べき人々は抑圧されたり弱い立場にいる人々であり、彼らに「よく知らないのに声をあげるな」というのは全く持って不条理だと言わざるを得ない。
なにも知らなくても、自分や他の誰かのために声を上げられる人々をもっと許容していくべきだと感じる。