千葉の佐倉にある国立歴史民俗博物館で現在行われている「性差(ジェンダー)の日本史」展に行ってきた。
金曜日の平日にも関わらず、企画展示には多くの人が来館していて、この企画の影響の大きさを感じさせられた。
古代から現代までの日本の歴史を通して、性差というものがいかに作られてきたのかを見せる企画で、非常に教育効果の高いものだと感じた。
装飾品などによるジェンダーの区分はあったものの、女性が首長であったり権力構造に違いはなかった古代から、戦争などによって男性が指揮をとるようになる過程や、仏教がもたらした女性差別観、そして近代化によっていかに女性の役割が公共から排除されていったかを読み応えのあるパネルと展示とともに紹介している。
【常設展と企画展】
訪問を予定している人は、この企画展示だけで2時間はみておくとゆっくりしっかり見ることができると思う。もし常設展示までしっかり見たい場合はもしかしたら1日では足りないかもしれないほど、歴史民俗博物館は膨大な常設展示を持っている。
私は性差の日本史展を見た後に、近代の常設展示を見に行ったのだが、性差の日本史展で批判的に語られている「女」という枠組みがいかに社会的に政治的につくられたのか、という部分がそのまま常設展では無批判に展示されているのが少し面白い。例えば、岩倉使節団に「ついて行った女子留学生」といったような展示がされており、そこにはなぜ岩倉使節団に女性として「参加」できなかったのかや、「女子」留学生としてジェンダー化される背景などは語られていない。今後、この企画展示から常設展示の見直しなどがなされていくと面白いなぁと思いながら鑑賞していた。
【近代化による弊害】
性差の日本史展では、個人的には特に明治以降の近代化の展示が面白かった。
性の売買の歴史では、日本が近代化する中で遊郭が人身売買として国際社会に批判されるとして1872年に芸娼妓解放令(遊女を娼妓とし、自由意志で性を売るものとし、人身売買の要素を除去するもの)が出される。これによって明治政府は人権運動が高まる国際社会の中で日本社会を野蛮なものではなく近代国家の一員として提示した。しかし、実際の娼妓たちは借金をしている管理者のもと、別の形で性を売ることを続けることになるだけではなく、「自由意志に基づく自売」という建前によってこれまでは「人身売買のかわいそうな被害者」としてみられていたのが、「自分の意志で身体を売る蔑視の対象」へと変わっていく。
この変化は1985年の男女雇用機会均等法とも似ているように感じた。国際情勢の変化により、日本社会が男女平等を推し進めるポーズを見せるためのこの法律によって、一見男女の雇用は平等になったように見えた。しかし、その裏では派遣法が改正され、多くの女性が非正規雇用となり使い捨ての労働力となっていった。そして、これまでは「女性は差別されている中で頑張って働いている」という状態から、新自由主義的な考えが主流となり「がんばらないから非正規なんだ」という能力主義へと変わっていく。
自己選択権と自己決定権によって、自己責任に導かれる新自由主義的な考え方が近代化の特徴の一つともいえるのではないだろうか。
【歴史から学ぶ変化への可能性】
これは展示のほんの一部であり、様々な角度から日本の歴史のなかで変化していく性と制度が描かれていて、非常に教育効果の高い展示となっている。逆にこのような展示がこれまで行われてこなかったことに驚きを感じた。
展示の最後に、村木厚子氏によるビデオメッセージがあり、とても素敵だったので、少し共有したい。この企画展示の目的の一つに、若い世代が今の社会の在り方や自分の役割に対して、それが崩せない、抗えないものだと感じている人に向けて、歴史を学ぶことによって「今ある姿は当たり前ではなく変化できるものだ」ということを知ってほしいというメッセージがあった。もちろん変化するためには個々のアクションが必要にはなるが、「これが当たり前だから」といって諦めないでほしいという発信は、膨大な日本史の中で女性の役割が変化し続けていることを見てきた後でとても納得感があり、力強いメッセージになっていたと思う。
この企画展示は12月6日まで千葉の国立歴史民俗博物館で行われている。
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/press/p201006/