久しぶりに映画館で一人で映画を見てきた。
なんとなく韓国フェミニズムに興味がありつつも、そんなに追いかけてなかったので、ちょっと話題になっている映画から見てみようかな、という軽い気持ちと、私自身が82年生まれということもあって、同年代に生まれ育った女性の話をどういう感覚で見れるのだろうかという興味をもって見に行ってみた。
【日常にある、悪気のない悪意】
主人公の女性(ジヨン)は2歳の子供がいて、主婦をしながら子育てをしているが、ときどきぼーっとしたり、別の人格が出てくることがあり、産後鬱か精神的に不安定な様子が描かれる。そして、物語には彼女が生きてきた中で感じる女性として生きる上での「違和感」を過去と現在を行き来しながら描き出している。
ざっと覚えている範囲での彼女の「違和感」を書き出してみよう。
(ネタバレになるので、ご注意ください)
・学生時代に男性に後をつけられて怖い思いをすると、父親からスカートが短いと注意され、自衛すべきだと言われる。
・姉と弟の3人兄妹だが、家事や家の手伝いは「自然と」姉と妹にお願いされる。叔母に「女の子がいると手伝いがたくさんいていいわね」と言われる。
・ベビーカーを押して、公園やカフェにいるとスーツ姿の人から「主婦は楽でいいよな」と聞こえる声で話される。
・会社のプロジェクトに選ばれなかった理由が、長期のプロジェクトになるので女性は結婚や出産で抜けられると困ると言われる。
・会社の女子トイレに盗撮カメラが仕掛けられ、それに気づいていた男性社員が止めるわけでもなくシェアして笑っていることを知る。
・夫は家事や育児を「サポート」するものの、出産や子育てで自分の人生が変わるとは思っていない。
ここに書いた事例はほんの一部であり、このほかにもたくさんの「違和感」が登場する。
そして山ほどの違和感に対して、ジヨンは反論も攻撃もせずに生きてきた様子が描かれている。
「あぁ、これは日本で、日常で、女性にとっての普通だ」と思った。
一つ一つは受け流せるかもしれないことも、山のように積もっていくことで精神や健康に害を及ぼす。
そして、このような言葉や態度を投げかける側にはえてして「悪気」はないのだ。
【個人の問題?社会の問題?】
上記のジヨンが感じた違和感のすべてに「それは不快に思う」や「それはおかしくないですか?」という声を上げ続けることは、とっても必要だが、簡単なことではない。
なぜなら、そういう言葉を発している相手には、悪い事を言っている自覚がないからだ。
そして、パワーバランスが(父親や上司など)存在する相手に声をあげることは、自分の立場や状況を悪化させる可能性も秘めているため、慎重になる。
対話して理解し合える相手ももちろんいるだろうが、全員がそうとは限らない。
映画の中では、ジヨンの父も夫も、ジヨンとは異なる伝統的な価値観を持っているが、ジヨンを愛していてサポートしたいという気持ちはとてもよく描かれている。
特に、夫は献身的なサポートをする良い夫として描かれている一方で、彼女が抱える問題の本質には全く気が付いていない様子も描かれている。
この映画のとても素晴らしいところは、「こういう加害をしてくる男性ってだめだよね」という個人的な問題に落とし込まれていないところだ。
悪意をもって攻撃してくる男性や女性だけではなく、悪気なく相手を傷つけてしまう発言をしてしまう男性や女性、様々なキャラクターが出てくることで、これは個人的な問題ではなく社会的な問題だと気づかされるのだ。
ジヨンが精神的に参ってしまった原因は、1つではなく、様々な社会的な伝統や構造を内包している人々の発言や態度によって引き起こされており、何か1つのものがなくなったからといって解決するわけではなく、社会全体に当たり前のようにある「女性軽視」や「ジェンダー観」の問題を解決しなければいけないのだなぁと感じさせられる。
【じゃあどうすれば?】
では、社会的な問題を解決するにはどうすればいいのだろうか?
矛盾のように聞こえるかもしれないが、やはり個人個人が対話をし、助け合っていくことが重要だと感じる。
もちろん、学校や会社などの大きな場所での教育や意識改革は大きな社会の役割として必要だろう。
しかし、個人レベルで自分の生きやすさを担保するためには、このような発言や態度が自分にとって不快であることを信頼できる相手と共有しながら、周りに伝えていくことではないだろうか。
とはいえ、自分から発信できる人ばかりではないというのも事実だ。
自分の身を守るために、自分でなんとかしたほうがいいというのは、余力のある人の考え方だし、自己責任論的に聞こえる可能性もある。
自分で解決できるのであればジヨンの症状も現れなかっただろう。
大切なことは、困っているひとや状況を目撃したときに、他者が手を差し伸べられる社会になっていくことかと思う。ジヨンがバスで見知らぬ男性につけられたときに、乗客の一人の女性がジヨンを助ける場面がある。このように、違和感を見たときに、自分に向けられたものでなくても声をかけたり、助けたり、ちょっとした行動ができることが大切なのではないだろうか。
最近、映像で話題になっているActive Bystander(行動する傍観者)という動画でも、ちょっとしたことだが、被害を受けた人に対して手を差し伸べるだけで、十分助けになっているんだというメッセージが発信されて、とてもよい動画なのでぜひ見てほしい。
ながながと書いてしまったが、「普通」の日常が、どれほど女性にとって生きづらい世界なのかを描いている、とてもいい映画だと思う。どうやら本では違う結末らしいので、そっちも是非読んでみたいと思う。