花王ロリエのCMが話題となっている。
「生理は個性」であり、女であっても他の女性の生理に関しては自分に当てはめて考えてしまうため、違いを受け入れることによって助け合う必要があるのではないか、というプロジェクトのもとに作られたCMだ。
一人一人の生理が全く異なるという事実には大賛成だ。
全く辛くない人もいれば、起き上がれない、吐き気がする、気分が落ち込むといった症状は人それぞれである。
因みに、私はずっと量が多すぎるため、始まって2,3日は毎朝床にあふれ出る血液を低血圧で眠い状態で掃除することが毎月の日常である。
さて、このCMの何が問題なのか。
「生理は女の問題」というところに落とし込まれているのが大問題だと感じる。
CMに出てくるのはすべて女性で、ウェブサイトでも女性の声だけが取り上げられている。
生理にまつわる問題を「女だけの問題」に集約されているのが問題なのだ。
「衣服に血がついたら恥ずかしい」「汚い」「匂いも気になる」といった様々な生理で起こりうる出来事を、「男性の目線から隠す」ということを私たち女性はずっとやってきたように思う。
生理用品が紙袋に入れられたり、ポーチで持ち運んだり、白い衣服を避けるのも全て「恥」と感じることを避けるためだろう。
何に対して、「恥ずかしい」と感じるのだろうか。
日本の文化の中には、生理中の女性を穢れとみなす文化がある。女性が土俵に上がれないのも、その昔、酒蔵に入ることが許されなかったのも、生理中は鳥居をくぐるなといった言い伝えがあるのも、女性の生理を穢れたものとみなしてきたからだろう。
これは決して日本だけではなく、多くの国の宗教において女性の生理を穢れとしてきた歴史は存在する。
これらの生理を恥とする文化を創り出してきたのは「男社会」ではないだろうか。
このCMが描いたように、様々な生理の症状を認め合おうというところを「女だけ」でやるのは、ちょっと時代錯誤だと感じざるを得ない。
人によっていろいろな症状があり、職場や家庭で動けなかったり、仕事の効率に支障が出たり、会社に行けないような生理の「個性」を理解し合うのは「女」だけでは全く足りない。むしろ男性が積極的に、「知る」ことが大切なのではないだろうか。
むしろこのCMで描き出すのは「女同士でも意外と理解しあえてないよね」という女を分断するような仕組みを感じてしまう。
妊娠や中絶、緊急避妊ピルも同様だと思うが「女同士」は意外と理解しあえているのだ。大切なのは、「男が知る」ことであり、このような話をもっとオープンにできる大企業のCMだからこそ、男に届くような形で作ってほしかったと残念に思う。
そして、生理は「個性」ではない。個性に落とし込まれることによって、自分自身でコントロールできるもののように描かれるのは間違っていると思う。
生理は日常であり、身体であり、きて欲しいほしくないに関わらず勝手に起こるものである。それによって起こる症状は人それぞれだが、それはどんな病気も同じだろう。糖尿病でも軽度と重度で全く症状が異なるのと同じであり、それは「個性」ではなく「症状」だ。
カネボウのCMでも書いたが、大きい企業がお金もかけてできるメッセージの発信に関して、もう少し様々な側面を考えてほしいと切に思う。