私のGuilty Pleasure

“Guilty Pleasure”という言葉が英語にはある。よくないとわかっているけど、辞められない楽しいものの事をそう呼ぶのだ。例えば、夜中に食べるドーナツや、試験勉強中に見てしまうYoutubeなどだろうか。

私にとってのGuilty Pleasureはリアリティーショーである。日本の番組だとテラスハウスやあいのり、バチェラーといったものだ。なぜGuiltyに感じるかというと、リアリティーショーという物自体が、シナリオはないという「設定」であるにも関わらず、ほとんどの場合は制作側の「意図」が反映されている。それに対して、出演者は自分のプライバシーを切り売りしながら、制作側の「意図」にものっかりつつ自分自身を「演じ」ている。この状態を傍観者として、「他人」をジャッジしながら見るのがリアリティーショーの楽しみ方であり、それが個人的には他人のパーソナリティを表面上だけで他人がジャッジするのはよくないことだと感じるため、Guiltyなのだ。

とはいえ、若干下品で商業主義的なものを面白いと感じてしまう自分もいるので、リアリティーショーは私にとっての“Guilty pleasure”なのだ。

そういうわけで、いろいろなリアリティーショーを見てきているのだが、今回始まったアマゾンプライムのバチェロレッテには今までのリアリティーショーとは違う面白さを感じている。
女性が男性を選ぶことがエンパワーメントだというつもりはさらさらない。
しかし、主人公の女性の価値観や考え方をこういう形で放送することは新しいなぁというのが今までのところの印象だ。

ここから先はネタバレになるので、見ていなくて見る予定のある人は気を付けてほしい。
(第6話までを見た感想です。ネタバレになるので気を付けてください。)

【Never judge a book by its cover】
今回のバチェロレッテで目立つのは、多様なrace/ethnicityを持つ参加者だ。全参加者が流暢な日本語を話すのだが、ルーツを中国やアメリカ、ブラジルに持つような男性が多く参加している。その中で、日本で生まれ育った白人の男性が、初対面で主人公の女性に本を渡して“Never judge a book by its cover”というのだ。英語のことわざで、「人を見かけで判断しないで」という意味のものだ。

きっと日本で生まれ育って日本人としてのアイデンティティを持ちながらも見た目でジャッジされることを経験してきたのだろう。何話かを経て、そのメッセージを受け取った主人公の女性が返す言葉が素晴らしいなと思ったのが、「他の人が自分を見た目で判断すると前もって判断してはいけないよ」という返事だ。

確かに、日本で暮らしている外国人の話を聞くと、レストランなどで日本語で注文しているにもかかわらず、一緒に来ているグループに日本人(のように見える人)がいると、その人にばかり注文を聞いて、アイコンタクトすらしてもらえない、という経験をしている人が多い。つらい経験をしているのだな、と思うが、その経験を「日本人ってこうだよね」と語られることには抵抗を感じていた。(もちろんそういう括りで話す人ばかりではないが)

今回の男性が初対面の日本人女性に“Never judge a book by its cover”というメッセージを押し付けるのは、過去の経験に同情できる部分もあるが、その女性が人を見た目でジャッジする可能性を持っていることを想定しているようでなかなか失礼ではある。それをきちんと言葉で正すことのできる主人公の姿勢にとても共感できた。

【共感しやすいキャラクター】
今回のバチェロレッテが面白いのは、ひとえに主人公の女性の思想がはっきりしているからだろう。他者をその人の見た目や考え方、経歴や経験でジャッジしない姿勢がはっきり見えるのが、これまであまり日本のテレビ番組で見ることのできなかったものだと感じる。

例えば、一人の男性が彼女との会話のなかで「自分の子供が学校に行きたくないって言ったらどうする?」と聞かれて、「絶対に学校には行かせる。自分が楽しかったから」と答える。それに対する彼女のコメントは撮影されていないのだが、その日の決断で彼は落とされることになるのだ。この返答がきっかけだったのかどうかは全く分からない編集になっているし、想像の範疇を出ない。しかし、この発言を聞いて私が感じたことは、自分の子供であっても一人の人権をもった人間であり、その子が行きたくないということに対して「自分が楽しかったから行くべきだ」という論理で話すことは、子どもに対する人権侵害であり、価値観の押し付けである、ということだ。こういう価値観の人とは自分は合わないなぁと傍観者として感じていた。彼女がどういう理由で選択をしているのかはわからないが、自分が納得できないことやおかしいと感じることを曖昧にせずに「なぜ?どうして?」と自分が理解できるまで話を聞こうとするスタンスがとても共感できるのかもしれない。

もちろん、結婚がゴールであり、ヘテロセクシュアルであることが前提で作っている番組のスタンスには私は共感できないし、リアリティーショー自体の在り方に関する疑問は残るのだが、多くの人が見る番組で、「自分をしっかり表現できる女性が魅力的である」というメッセージを発している主人公の女性の存在は大きいように感じる。まだエピソードの途中なので、今後どういう展開になるかどうかは全くわからないが、6話を見終わった時点での感想と、私のGuilty Pleasureを共有してみた。