結婚制度について思うこと。

私の結婚観を話すと、驚かれることがよくある。付き合ってそろそろ9年になるパートナーと一緒に暮らしていると、よく「結婚はしないの?」と聞かれることがある。その質問への答えはいつも、「日本の結婚制度には反対しているので、籍を入れるつもりはない」と答えている。

なんかヤバいやつだ、と思った人はそれ以上突っ込んでこないので、そこから疎遠になってしまうことが多いが、「なぜ結婚制度に反対しているのか?」と聞いてくれる人に答えていることをここにも綴っておきたいと思う。これは私の個人的な意見であり、結婚制度を選んでいる人たちを批判するものではないことをご理解いただきたい。

私が結婚制度を選ばない理由は大きく分けて3つある。
①異性愛者以外を差別する法律だから
②戸籍という古い家父長制を継続させる制度だから
③自分の身体を管理される制度だから、である。

ひとつずつ説明していこう。

① 異性愛者以外を差別している結婚制度

最近では「パートナーシップ制度」なるものが各自治体で始まりつつあるが、日本の法律では「男女」以外のセクシュアリティに婚姻を認めていない。つまり、男同士や女同士の結婚は認められていないのである。法律婚がなかなか認められない日本において、パートナーシップが進んでいることは、苦肉の策なのかもしれない。しかし、本来であれば異性愛者に認められる法的権利を同性愛者にも認めることがあるべき姿なのではないだろうか。パートナーシップ制度は自治体によって大きく異なるので、ひとくくりに話すことはできないのだが、場所によっては登録にお金がかかったり、法律婚と全く同じ権利が認められるというわけではないことが多い。結局のところ、「法律婚」には入れてあげられないから「パートナーシップ制度」で対応してね、という状態でしかない。近年、台湾において東アジアで先駆けて同性婚が合法化したという喜ばしいニュースがあった。しかし、日本では反対派の政治家が「同性愛者は生産的ではない」という差別発言を平気でしてしまうような現状ではある。結婚制度自体が、異性愛者に認めるものと同じ権利が認められていないという状態は立派な「差別」なのではないだろうか。だからといって結婚している人が同性愛者を差別しているというわけではないので、間違えないでほしい。「差別」をしているのはその制度を改良しない法律であり国である。人々はいろんな事情があって結婚という制度を選んでいるので、そこを批判するつもりは一切ない。ただ、私は結婚制度を選ばなくてもいいという選択肢が取れる立場にあるので、同性婚を認めない制度を批判する意味でも結婚しない選択肢をとっているのだ。

② 戸籍による家父長制の継続

日本における戸籍制度は明治以降に始まるが、「家」という単位を作ることで、家族倫理を広め、国が管理をしやすくするための制度として始まった。当時は(今もかもしれないが)「家制度」の長となるのはほとんどが男性であり、男性が家族を管理し治めることによる家父長制が広まったというのが非常にざっくりした歴史である。
さて、現代の結婚制度にはいまだに「戸籍制度」が強くのこっており、どちらかの「籍に入る」ことを選ばなければ法律的な婚姻は成立しない。そして現状、ほとんどの女性が男性の「籍に入る」ことを選択する(せざるをえない)状況になっているのだ。
男であれ女であれ、自分の名前を変えることを何も考えずに受け入れるのは安易なことではないように思う。何十年も「かなこ」として生きてきたのに、明日から「みき」として生きることを「はい、そうですか」とすんなり言えるだろうか?しかし「結婚制度」にはそれが「当たり前だ」というだけで「はい、そうですか」と受け入れさせてしまう力がある。
今では夫婦別姓の議論も進んでいるが、まだまだ日本では法的に実施されそうもない。自分もしくはパートナーが姓を変更して相手の戸籍に入ることをどちらかが選ばなければいけないことに、理不尽を感じるし、何かを諦めなければ結婚できないのであれば「結婚」する必要はないかなと思ってしまう。自分たちのアイデンティティを大切にしたいという意味もあるが、もっと大きな「戸籍制度による家父長制」に取り込まれていってしまうことへの恐怖も感じているのかもしれない。

③ 身体の管理

この話をすると、なかなか理解してもらえないことが多いので注意深く書きたいと思う。法的に結婚している男女が、不倫してはいけないという法的記述はないが、民法では重婚の禁止や相互扶助の条項から「不貞行為」をしてはいけないということになっている。つまりは、結婚相手以外とセックスをしたら民法において裁かれるということになる。
これは、「ほかの人とセックスがしたい」とか「不倫がしたい」というわけではなく、「自分自身の身体を法的に管理される」ことへの嫌悪感である。
お互いに相手を思い合うことにより、相手が不快な思いをしないようにしよう、と考えることは当然のことだと思う。それを法律によって定められ、そのルールにのらないと罰せられるのであれば、私は自分と相手の「思いやり」を信じるだけで十分だと感じる。わざわざ罰ゲームが存在する場所で生きるよりも、お互いの信頼だけで生きる方が気持ちがいい。

結婚自体が、経済的な役割を担っている場合の夫婦関係もあるだろうし、結婚制度を選ぶ人を批判したいわけでは決してない。ここまで綴ってきた理由は、完全に個人的な、私が考える結婚を選ばない理由である。そして、自分自身が「結婚を選ばない立場」をとれることが優遇されていることだとも理解している。田舎で結婚しないことは社会的に難しかったり、マイノリティであることで経済的に結婚を選ばざるを得ない状況がたくさんあるだろう。そんな中で、結婚を選ばない立場をとれるということは恵まれていることだと思う。そういう立場にある以上、個人的には「結婚」に対しての違和感を投げかけることによって、「当たり前だから」という意識に選択肢を増やしていければいいなと思う。