ドキュメンタリー映画”Minding the Gap”を観て

“Minding the Gap”という映画を見た。Huluオリジナルのドキュメンタリーでアカデミー賞にノミネートされている作品だ。
イリノイ州で暮らす、スケートボード仲間の3人を中心に、家庭の貧困や虐待の連鎖を描いている。監督はこの3人の中の一人で、アジア系であり、自分自身が受けた虐待についても物語のなかで語っている。
幼いころから「家庭」に居場所を見いだせずに、スケートボード仲間とのつながりが「居場所」となっている若者を描きつつ、人種、貧困、家庭内暴力、ジェンダーなど様々な切り口で考えさせられる映画だった。
今回はスケートボードという「男社会」に居場所を見出す3人の男性の生き方を、“パワーバランス”という観点で振り返ってみたい。

【人種とパワーバランス】
スケートボードをする主人公の3人は、白人、黒人、アジア人である。黒人の男の子(Keire)が劇中に「どんなに白人の仲間がいても自分が黒人であることを忘れるな」という父親の言葉を引用している。映画の中では、白人/黒人という人種の対比がなされるのに、アジア人という人種についてはほとんど触れられないのはアメリカ社会の実情をよく表しているように思う。人種問題において「白対黒」がメインであり、アジア系はinvisible(見えない)なものになっている。
Keireが同じスケートボード仲間として、そこに居場所を見出している一方で、白人の仲間たちが冗談でニガー(黒人を敬称する差別用語)というのを複雑な面持ちで聞いている場面が登場する。白人が黒人をそう呼ぶだけで、相当強い嫌悪感を抱かせる強い言葉を「仲間」という安全性を盾に使っているように感じた。そして「仲間」の中でも、白人対黒人という序列を作り出してしまう、無意識化でのパワーバランスをそこに感じさせられる。
結局Keireはそのグループから離れていってしまうのだが、「悪気がない」「仲間」ということを前提にパワーバランスを作り出してしまう残酷さがよく描かれているように思う。

【ジェンダーとパワーバランス】
白人のZackという主人公の一人が、若くして結婚し子どもが生まれるのだが、彼が結婚相手のニナに暴力をふるっているのではないかというシーンが出てくる。
作品の後半で、Zackにインタビューするシーンがあるのだが、「女性に暴力をふるうのは間違っている。だけど、暴力をふるわれても仕方がないような女もいるだろう」といった発言がある。
監督のLiuも義理の父親に暴力をふるわれて育ち、それを母親に知っていたのかと問うシーンが出てくる。
作品で描かれる暴力を受けるのは子どもであり女性であり、自分の友人が大人になるに従って加害者になっているのかもしれないという危うい連鎖を想像させる。
Zackの「暴力をふるわれても仕方ないような女」という発言は、強者による選別を体現しているようで怖さを感じる。弱い立場のものを「良い」「悪い」に分けて、「悪い」ものには罰を与えるという構造を体現してしまっているようだ。

【階層とパワーバランス】
一方でZackは白人男性という強い立場にいながらも、貧困から抜け出せない生活を送っている。作中で「企業に勤めて、車や家を所有して、それが普通の暮らしだと思っている人が多い」という中流階級の暮らしを批判しつつも、屋根の修理の仕事をしながら、高卒の資格を取ろうとしたりしながらも、なかなか貧困から抜け出せない様子が描かれている。
Zackは作中ずっとビールを飲んでいるのだが、作品の初めには「Goose Island」といういいクラフトビールを飲んでいるのが、結婚して子供ができ、金銭的に圧迫されると「Pabst Blue Ribbon」という安ビールに変化していく。
自分が「Rich/Poor」という枠組みから抜け出せない焦燥感と、周りの人たちを「Black/White」、「Good women/Bad women」という枠組みに無意識にしろ当てはめてしまう危うさがとてもよく描かれているように思う。

このドキュメンタリーでは、様々な社会問題を複雑な視点でとらえており、見た人がそれぞれの観点で考えさせられるような内容になっている。今回は私が感じた私の視点での感想を書いてみたが、他の人がどのように感じるのかもぜひ聞いてみたい。日本での公開は9月4日に予定されている。

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