女性は政治的影響力を持っている

筆者:Kyoko Kubono

昨学期の人類学の授業で、日本の保育園について非常に興味深い論文に出会いました。井本由紀による“日本の幼稚園制度の変容”という論文です。子ども園という新たにできた制度を、保育園と幼稚園の共通点と相違点を見ながら分析している興味深い論文です。男性優位の社会にもかかわらず、女性である私たちが政治的な影響力を持っていることを教えてくれている点が魅力的だと感じました。このエッセイでは、それぞれの幼稚園と保育園の背景を簡単に説明します。そして、この二つの制度の歴史を踏まえて、女性の政治的影響力について私の意見を述べたいと思います。

幼稚園は文部省が運営しています。国際幼稚園運動の創始者であるドイツの教育者フリードリヒ・フローベルが日本の教育制度に影響を与え、幼稚園の公布につながりました。幼稚園の設立は民間団体が中心となって進められ、私立・公立幼稚園ともに富裕層をターゲットにした有料化が行われました。1950年代に制定された法律196条では、「幼児教育は、健全な心と良い習慣を養うことによって、家庭教育を補完するものでなければならない」とされています。これは、女性が幼稚園の力を借りて保育や教育を行うことにより、子どもの社会化の初期段階に関与することを意味しています。幼稚園があるにもかかわらず、女性が子育ての要となる役割に置かれていることから、明治時代に確立された「良妻賢母」という概念がこの法律によって強化されました。その結果、子どもの教育のために時間と労力を犠牲にする母親像が理想化され、喝采を浴びるようになったのです。

一方、保育園は厚生省が運営しています。1900年代初頭までは、田舎の子どもたちは村共同体の力学によって社会化されていました。良妻賢母の考え方は、母親は子どもの世話だけでなく教育にも責任があるというもので、労働者階級の女性はフルタイムで働き続けることができませんでした。急速な工業化と農村から都市への移住が続く中で、新たな貧困層として核家族が増え、貧困に苦しむようになりました。1900年、キリスト教の教育を受けた2人の女性が、労働者階級の親が生計を立てることに専念できるように長時間保育を提供する、「ヒンミン幼稚園」と呼ばれる最初の保育園を設立しました。さらに、第二次世界大戦でパートナーを失ったシングルマザーたちは、1940年代後半には、保育所の増設を求める請願書に署名し、集会を開くようになりました。驚くことではありませんが、戦後のベビーブームの影響で、1950年には保育園の需要が3684人と大幅に増加したのに対し、幼稚園の需要は2100人と低迷していました。つまり、井本は、就学前教育はどちらかというと需要と供給のビジネスであると言及しています。

では、なぜ、幼児教育に対する考え方が社会に受け入れられやすいのでしょうか。井本によると、このビジネススタイルは「需要と供給に基づいたビジネススタイル」と表現されており、顧客(女性)の意見を聞き入れていることがうかがえます。更に、女性同士の話し合いをしたり、請願書に署名したり、デモを行ったりすることで、女性が必要とすることを一緒に達成しようとする動機付けにもなりました。幼児教育などの、女性のものとしてステレオタイプ化されている分野において、女性は政治的な影響力を持っていたのです。

一方で、日本の外交政策や経済政策、司法制度など、他の分野では、選挙権や抗議権があるにもかかわらず、自分たちには変えられないと感じている女性が多くいるかもしれません。それは、特定のテーマ以外では、女性の声が社会的に抑圧されてきたことや、社会的な孤立感から、女性の問題ではないことに対する女性の意見を知ることができなかったからかもしれません。にもかかわらず、文化は法律や憲法などの政治制度によって生産され、再生産されています。つまり、私たちは最終的には男女平等を実現するために、法律や憲法を変えるように政治家に働きかける必要があるということです。

逆に言えば、「私たちは政治的な影響力を持たない、社会に出ていない」という思い込みが、男性中心の政治や支配を許してしまっているのです。しかし、私たちの先輩たちが嘆願書やデモにより多くの保育園の設立を達成したように、私たちは政治的影響力を持っているという事実を思い出すべきでしょう。私たちはまた、自分たちの葛藤に気づき、言葉でそれらを表現する練習をする必要があります。そうする事で、他のマイノリティグループと理解し合い、「機会の平等」という私たちの最終目標を一緒に達成するための協力をすることができます。

The F-Wordが、あなたが自分自身の話を共有し、理解し合える友人を作り、社会で自分を表現する自信を持つための場所の一つになることを願っています。