れいわ新選組:「命の選別」発言をめぐる論争に思うこと

「だれもが生きているだけで価値がある」と思える社会を実現したい、という理念でたちあがったれいわ新選組の政治にはとても共感することが多く、去年の夏の参議院選挙を描いた映画「れいわ一揆」のプレミア公開も六本木の映画館でオールナイトで見に行ったほどだ。

弱い立場の人の「声」を大切にするために、様々な当事者を候補者としてたてていた。そして、重度障害を持つ木村さんとALS患者である舩後さんを国会に送り込んだことも歴史的な瞬間だったと思う。

そんなれいわが炎上したのは、構成員の一人である大西つねき氏の動画内での発言だ。政治家として合理的に判断すべきだ、といった内容で「命の選別するという選択をすることが政治だ」「選別するなら高齢者からいってもらうしかない」と語っている。1時間以上ある長い動画なのだが、発言を要約すると私のバイアスが入ってしまう可能性があるので、興味のある人は元の動画を見てほしい。だいたい51分ぐらいからこの話をしている。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=whuSV-Uq2_A&feature=emb_logo

そして、昨日、れいわの総会が実施され、大西氏が除籍処分という結論にいたった。
この一連の騒動におけるコメントで、重度障害を持つ木村議員のコメントが素晴らしく、かつ、フェミニズムでも同じことが言えると思ったので綴っておきたい。

木村議員はブログでその発言が障がいを持つ自分にとってどれほどショックだったかを綴りながらも、この問題は大西氏だけの問題ではなく社会の問題だと記していた。障がい者と健常者が一緒に生活することがほとんどない社会において、相手の苦しみを想像することが難しい。「お互いを知らないことで、誤解や偏見が蔓延してしまい、無意識のうちに差別が生まれてしまっている」とブログに綴っていた。この発言は、障がい者に対してだけではなく、すべての「無意識の差別」を引き起こす根本的な「無関心」に対する警鐘を鳴らしている。

こちらで彼女のブログも全文読める。
https://eiko-kimura.jp/2020/07/15/activity/1053/

差別や偏見について「自分は差別していないが、そういう問題には興味がない」と考えることは無意識のうちに差別に加担していることになりかねない。「そういう問題」を考えずに過ごすことができるということが特権なのだ。先日参加した、Black Lives Matterのデモで“Privilege is not knowing that you’re hurting others and not listening when they tell you.― DaShanne Stokes“(特権とは他人を傷つけていることを知らないことであり、他人に言われても聞かないことだ)というサインを掲げている人がいて、とても共感した。

このような無関心が引き起こす差別は「悪気がない」と思っているからこそとても悲しい。
木村議員が言うように、このような「誤解や偏見による差別」はお互いを知らないこと、知ろうとしないことによって引き起こされてしまっている。
社会的に弱い立場にいる人々は、いやでも「メインストリームとの違い」を感じながら日々生きている。車いすの人は、階段にスロープがないことや、移民や外国籍の人は「見た目」が違うこと、女性は電車の広告に裸の女性が載っているのを毎日見ることで、それぞれの「メインストリームとの違い」を意識させられることが多く、問題意識を持ちやすい。しかし、社会的に強い立場であればあるほど、「違い」を気にせずに生きることができるのだ。

だからこそ、「強い立場」にいる人が、違いに関心をもつことがとても大事だと思う。「違い」を受け入れて「誰もが生きやすい社会」を政治的に実現していくこともとても大切だと思うし、障がい者、高齢者、貧困、女性、人種など様々な違いを持つ人々が個人レベルでも連携していくことが大切なのではないだろうか。